歴史的事実から見た独島・竹島
独島・竹島問題は日韓間の古くて新しい問題である。
日本側は17世紀の中ごろに独島・竹島が日本の領土になり現在に至っているというが、
17世紀の末、鳥取藩が江戸幕府に送った書簡や、1877年の太政官指令では、独島・竹島は日本の領土ではないと結論している。すなわち、日本の独島・竹島固有領土説は、初めから成り立たない議論である。
17世紀末以来、約200年間、独島・竹島に行くことのできなかった日本では、1904年に独島・竹島に、「独島」という韓国名が存在することを確認したが、当時独島・竹島に日本名はなく、フランス名であるリアンクール・ロックスを略してリャンコ島と呼んでいた。
1904年、独島・竹島に日本名が無く、韓国名があったという事実は、1904年の時点で独島・竹島の主人が韓国であったことを示唆している。