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京都府南部(山城地域)の韓半島関連遺跡と遺物 ㅣ 菱田哲郎 敎授(京都府立

admin 2022-08-01 15:45:18 조회수 330


京都府南部(山城地域)の韓半島関連遺跡と遺物― 古代の寺院を中心に


菱田哲郎 敎授(京都府立大学) 



京都府南部の山城地域は、王権を構成する畿内に含まれ、倭国の国家形成の段階から重要な役割を果たしてきた。韓半島からの渡来人の痕跡も他の畿内諸地域と同様に多く認められる。とりわけ宇治市街遺跡と森垣外遺跡は、5世紀から顕著な渡来系の遺構や遺物があり、王権の拠点の周辺に技術や知識をもった渡来人が集住していたことがうかがわれる。6世紀には仏教が百済から伝わり、その後、飛鳥寺の造営からは本格的な寺院が建設されるようになった。京都府南部の山城地域は、7世紀前半から寺院が営まれた地域の一つであり、今日まで法統を伝える広隆寺をはじめ、古刹を生み出してきた。その背景にはこの地に定着した渡来人である秦氏の活躍があり、とりわけ新羅との外交などでも活躍したことが遺跡や遺物にも表れている。そして、南山城地域にはコマの地名のほか、高句麗との関係を物語る資料が多く残される。高句麗使のルートにも沿っていたことがその背景にある。山城地域は、のちに長岡京、平安京の都城が成立するが、その基盤となったのは韓半島からの渡来人が根付かせた技術であったと考えられる。