考古学から見た新羅, 百済, 大加耶の対倭交渉 -5世紀前半代を中心に-
5世紀前半代には新羅、百済、大加耶がそれぞれ明瞭な意図をもって倭との交渉に臨んでいた。新羅は、高句麗との従属的な関係を結びつつも、その環境の好転を意図し、倭との交渉に臨んだと解釈することができる。また百済や大加耶は、高句麗南征に備えるために倭との友好的な関係を結ぶことを意図していたと考えられる。このような、朝鮮半島諸勢力の対倭交渉目的が複雑に絡み合った情勢の中で、日朝関係は推移し、日本列島へ様々な朝鮮半島系文物が導入されたと把握できる。
以上のような朝鮮半島諸勢力の動向を考慮すると、広開土王碑文に記録された倭の軍事的活動とは、時期的にも限定されたものであり、倭の先進文化受容の主たる契機として、過度に強調することは適切ではない。むしろ、日本列島と朝鮮半島の間における、相互の交渉目的に基づく基層的かつ恒常的な交渉関係の積み重ねがあり、それこそが倭における先進文化の受容と展開の最も根本的な要因であったと評価したい。