日本政治家の韓国認識ㅣ保坂祐二教授(世宗大) ㅣ HONGIK FOUNDATION
要旨
日本の保守には中道保守派と右派があり、敗戦以後の日本の政治の中心はまず中道保守派であった。その代表は吉田茂であり、吉田ドクトリンは戦後の日本の外交方針であった。その吉田茂も朝鮮戦争が起こった際には、これを天の恵みと言って、韓国人の怒りを買っている。
日本の中道保守派には韓国人によく知られた韓国友好派の政治家も多い。
日本の右派の戦後の始まりは、岸信介からであった。明治維新の際、岸の故郷である長州藩が薩摩藩と共に維新を成功させ、明治日本の根本を築いた。長州藩の政治家は、吉田松陰の影響で韓国とアジアに対しては侵略政策を取り、韓国人から見れば伊藤博文のような侵略者たちと認識されている。
現代政治では、やはり長州(山口県)に縁を持つ安倍晋三が右派政治家の完成版として韓国との確執を生み出した。
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