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高句麗の対倭外交_井上直樹 敎授(京都府立大学)

admin 2021-05-12 09:07:46 조회수 698

高句麗の対倭外交 -6世紀後半の高句麗の対倭外交開始と東アジア情勢- 



 570年、倭国と長らく敵対していた高句麗の使節が倭国に突如到達した。このことは高句麗の対倭政策を大きく転換させるとともに、古代東アジア史上の一つの転機となった。

 これまで6世紀後半の高句麗の対倭外交の要因としては高句麗と新羅の抗争が指摘されてきた。しかし、既存の研究は、必ずしも当該期の高句麗を取り巻く情勢をふまえて論及されたものではない。しかも、新羅との対立はその後も継続しているが、6世紀後半の高句麗の対倭外交は数年後には断絶してしまうことになり、必ずしも新羅との対立のみで説明できない。

 そこで改めて高句麗の対外関係に注目してみると、この時期、高句麗はその西方の北斉との関係を悪化させていたことが注目される。高句麗は朝鮮半島の新羅・百済との対立とに加え、西方の北斉との関係悪化によって外交的孤立に陥ったのであった。この外交孤立のなかで高句麗が模索したのが、それまで敵対国であった倭国との提携であった。だが、この北斉がそれからほどなくして滅亡し、高句麗が北斉に続く北周・隋との友好関係を構築すると、高句麗の対倭外交は一端終焉を迎え、それが再開するのは隋との対立が顕在化した後であった。このように、6世紀後半の高句麗の対倭外交は、新羅との対立を前提としつつ、北斉との関係悪化をふまえて展開されたものであったのである。